筆者の通る市ヶ谷、牛込、小日向、小石川と言った辺りは、明治の文豪夏目漱石の生活圏とかなりオーバーラップしており、漱石の小説の読者の方はご存知だと思いますが、彼の小説の舞台や登場人物もこの界隈に数多く取り上げられています。
文壇デビュー作である「我が輩は猫である」の直接の舞台はここから谷一つ隔てた本郷台地であるものの、登場する謎の高等遊民、美学者、迷亭の住処はどうやら神楽坂近辺のようです。
夏目漱石の生活史は、数多くの研究者により研究されており、ウェブ上でも取り上げられていますが、それでも、迷亭のモデルには定説は無いようです。
鏡子夫人は、「漱石の思いで」の中で、”たいていの登場人物のモデルは見当がつくが、迷亭だけは思い当たる人物がいない、漱石自身の一側面を人格化した人物では”と言った趣旨の事を述べられています。
「我が輩は猫である」を読むと、迷亭は郵便を入れながら牛込見附(今の飯田橋駅西口あたり、神楽坂を下りきったところ)近辺を散歩すると言う表現に出くわします。
また、迷亭の発言から、「自宅の近所に南蔵院と言う寺がある」ことが判ります。
これらの点から、この界隈を知っているものなら、おおよそ思い当たる場所が浮かび上がって来ます。
南蔵院 |
地蔵坂、旧名ワラダナ |
左は、牛込にある南蔵院の写真です。
また、左下は神楽坂から南蔵院方面に登る地蔵坂、別名ワラダナと呼ばれる坂の写真です(ちょうど秋祭りだったので、法被を着ている人が写りました)。
そして、ここまで来ると、迷亭のイメージは、漱石の別の小説「それから」の主人公、長井代助と重なって来ます。
代助は裕福な資産家の次男坊で、帝国大学を卒業後も仕事には就かず、親に一軒家を建ててもらい悠々自適の生活を送っています。
そんな高等遊民、代助の住処として漱石が選んだ場所は、地蔵坂、ワラダナを登り切った高台、南蔵院にもほど近い袋町の光照寺付近です。
光照寺付近は、中世の牛込城の跡と言い伝えられ、この付近では一番の高所であり、高等遊民が住むにはいかにもふさわしい場所と言わねばなりません。
袋町の家並み |
光照寺 入り口付近 |
神楽坂周辺は、第二次大戦中に空襲に遭い焼け野原になっていますので、古い建造物は残っていませんが、主な道筋は戦前のものとほぼ一致します。
昔は、光照寺の境内から東京湾に出入りする舟の姿が眺められたと言います。
市街を見下ろすこの辺り一番の高台に住む高等遊民の迷亭や長井代助は、漱石の一側面の性格を持ちながらも、ある意味憧れの生活を送る人物像だったのではないでしょうか。
光照寺付近の地図
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