恐らく多くの人がそうだと思いますが、海外に住んでいる時と、国内に住んでいる時とでは、音楽や読書の趣味が多少変化します。
筆者もそんな一人で、例えば、アメリカに住んでいると,かえって日本的な本が読みたくなります。
筆者は、なぜか昔から太宰治氏の書くものが苦手で殆ど読まなかったのですが、カリフォルニアに住んでいた頃のある日、立ち寄ったヤオハン(日系のスーパーマーケット)の書棚で彼の「津軽」を手に取って以降、彼の小説をむさぼるように読み耽るようになりました(少し大げさです)。
しばらくは、太宰治の本が書店から消えてしまったほどです(これは事実です。海外の書店なので、きっと日本の書籍が補充されるのが遅かったからなのでしょう)。
そんなに熱中した太宰治ですが、不思議な事に、日本に帰って来たら、また全く読まなくなってしまいました。
これと似た様な現象が,音楽にも現れました。元々日本にいる時は、さほど演歌を好んで聴くタイプではなかったのですが、アメリカでは、車には必ず演歌のカセットテープを積んで走るようになりました。
特に気に入っていたのが石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」で、この曲を聴きながら、カリフォルニアの青い海や空の下をドライブしていると、ミスマッチな両者の情景が微妙に絡み合い、心地よい爽やかな風となって、心を通り抜けて行きました。
さて、多くの人がカリフォルニアと聞いて連想する曲の一つとして、イーグルスの「ホテル カリフォルニア」が挙げられると思います。
この歌は、もちろん曲の素晴らしさもありますが、ミステリアスで暗示的な歌詞も、多くの聞き手の心に残る要因となっています。
中でも有名なフレーズは、主人公がホテルのキャプテンにワインを持ってくるように頼んだところ,キャプテンは、「1969年以降、そのような酒はこちらにはご用意しておりません、」と断わった場面で、このフレーズは曲の発表以来,様々な形に解釈されて来ています。
有名な所では、酒を意味する「スピリッツ」と精神を意味する「スピリッツ」を引っ掛けて、「1969年以降、そのような精神(スピリッツ)はこちらにはご用意しておりません、」と、ロック業界の頽廃を皮肉っているのだという説がありますが、他にも、1969年は人類が初めて月着陸をした年であり、またベトナム戦争の最中であった事から、60年代のアメリカの繁栄と70年代の興廃期の境を象徴している、という説もあります。
1969年とは?
さて、このブログの読者層は、上記の様なありふれた説に満足されるレベルでは無いでしょう。
1969年には、きっと、もっとミステリアスで深い意味が込められていると洞察される方々が多いと思います。
実は,1969年は、OCRES的には非常に重要な年、ソフトウェア工学とコンピュータ・サイエンスが分離した年、別の言い方をすると,ソフトウェア作りが工学分野として認知された年なのです(なぜ,イーグルスが,この事を知っていたかはミステリーです)。
分離したと言っても、もちろん関係が無くなった訳ではなく、今でも密接な関係にあり、明確な境界線を引く事は出来ません。また、システム工学とも密接な関係があります。
密接に関わり合っている例として、コンピュータ言語を取り上げてみましょう。
コンピュータ言語
コンピュータ・サイエンス系の学生が、筆者の学生の頃(恐らく今でも)やっていた演習の一つに、言語作りーーコンパイラ製作の演習があります。
オートマトンや言語理論を一通り習った後、学生が自分で言語を好きな様に設計して、自分が作った言語の処理系(コンパイラ等)を製作する訳ですが、筆者も学生時代やらされました。
言語の設計そのものは結構楽しく、自由度も高くて好きなように定義できるのですが、あまり複雑な言語体系を作って仕舞うと、その処理系(コンパイラやインタプリタ等)を作るのが大変になるので、当時の学生の常として極めてシンプルな言語体系を設計して楽をしようとする傾向がありましたが、あまりシンプルにしてしまうと何も出来ない言語系になったり、あるいはFORTRANのような機械語のニーモニックの様な言語になってしまって面白みが無くなって仕舞うので、演習担当の助手たちは最低限必要な条件を、演習の最初の頃に提示していました。
当時コンピュータが大嫌いだった筆者も、仕方なく何か適当に言語を定義して(リカーシブ・コール出来る事が必須だった様な気がしますが、かなり記憶が曖昧)、ハノイの塔かアッカーマン関数か何かを計算させていました。
文脈自由言語であれば、当時既にあったyaccなどのツールを使って構文解析部分などサッサと作れるのですが、それも、使用が禁止されていて様な気がします。
また中には、自分の設計した言語で、自分自身のコンパイラを書く、いわゆるコンパイラーコンパイラに挑戦した偉い人もいたと思いますが、うまく行ったかどうかは、全く憶えていません。
しかし、後から翻って考えてみると、この言語の設計製作の演習は、結構有益でした。
もちろん、実社会に出ると、実際に言語処理系を作る事は、そういう部署にでも行かない限りは、まずやりませんが、言語そのものは、直接的もしくは間接的に,様々な形で常に付合って行く事になります(UMLも言語体系の一つです。)
当時、システム記述言語(OSや組込み系を記述する言語)として最もポピュラーだったのがC言語でしたが、当時の学生としては、不満が多く(それは、今の学生がC言語に対して持つ不満と殆ど同じだと思います)、さっさと進化して、D言語やE言語が出来て、21世紀当たりだと当然、Z言語か、ひょっとしたら自然言語でシステム記述が出来るのではないかと想像していましたが、残念ながら、21世紀に入って10年近くたった今でも、相変わらずC言語が主流であるとは、当時は想像もしていませんでした。
さて、言語設計が有意義だというのは、つまり、それが「設計」だったからです。
設計というのは、トレードオフを決定する場です。例えば、言語を出来るだけ精密にしようとして数学式の様な言語にすると、プログラミングの生産性が落ちたり、習得に時間がかかったりして不人気となり誰も使わない言語になったりします。また、生産性を上げようとして簡略な表現法を取ると、可読性が落ちてプログラミング品質が劣化したりします。あるいは、品質を上げようとして、プログラミングの自由度を減らし可読性の高い表現方法を採用すると、今度は生産性が落ちたりして不人気になったりします。
設計は、通常唯一解が存在せず、設計者の個性と市場の間のバランスの上に成り立っています。
こうして、言語の使用者(プログラマ)の観点だけではなく、言語の設計者の観点から言語を眺めるのは、学生にとって非常に良い機会だと思います。
そして、設計法や開発論などに代表される方法論(Methodology)を考えるという事は、徐々にサイエンスから工学(エンジニアリング)の分野に足を突っ込んでいく事を意味します。
方法論というのは、原理法則とは異なり、絶対的なものではなく、例えばオブジェクト指向設計論に則らなくてもシステムは出来ますし、また大抵の場合、適用分野の向き不向きが存在します。
あくまでも、合目的的な思考です。
ところで、組込み系の1つの主要なシステム記述言語がC言語だとしたら、C++言語はどうでしょうか?
答えは"YES、 but.."と少し口ごもった感じになるでしょう。勿論、主流言語の一つである事は間違いありませんが、実は、評判が手放しで良いという訳ではなく、バグを呼び込みやすい言語、使用する上で、注意を要する言語として知られています。
C++言語でプログラミングしたからと言って、オブジェクト指向分析設計をしたとは言えない事は,皆さんご存知だと思いますが、逆も真であり、オブジェクト分析設計をしたからと言って必ずしもオブジェクト指向言語でコーディングする必要はありません。
実装言語を何にするかは、対象エリアの特徴を考え慎重に決定する必要があります。
C++言語が要注意と言われる理由の一つはメモリーの使い方であり、例えば,メモリーサイズの小さなシステムでは、C++の動的なメモリーのアロケーションが問題となったり、また、リアルタイム系では、イベント発生から、メモリーをアロケーションしてオブジェクト生成が終わるまでに要する時間が嫌われたりします。(このような,現象をさけるために、C++系の組込みシステムでは、シングルトン等を使用し、初期化の際にメモリーを割り振ってしまう事が,よく行われます。)
C++言語のもう一つの問題は、コーディングの自由度の高さです。
先ほど、C++で書かれているからと行って必ずしもオブジェクト指向分析設計をしているとは言えないと言いましたが、中にはそれを遥かに超えて、オブジェクト指向プログラミングでさえない場合もあります。
表現するとすれば、「バレンシア風 スパゲッティ・プログラム オブジェクト指向香味添え」という様な、一見高級そうな複雑な味わいのプログラムが結構存在します。
勿論,こう言った事は経験の浅いプログラマが犯しやすく、経験を積むに従って無くなって行く問題ですが、プログラミングの現場は,多くの場合、多数派の経験の浅いプログラマと少数の熟練者という形で構成されやすく、それだけ熟練者の負担が重くなって,全体の生産性や品質を下げやすくなってしまいます。
というわけで、言語の設計と言うのは、言語を考える上で非常に有意義です。
先ほど上げましたyaccやlexと言った構文解析ツールも使えますので、コンピュータ・サイエンス系以外の方でも、サンデー・プログラミングで挑戦可能な域にあると思います。
ただ、風変わりな言語体系を作り、その誰にも理解不能な言語を使って自分だけの世界(システム)を構築するという事は、一歩間違えると漆黒のオタク空間へ吸い込まれてしまい元に戻れなくなってしまう事を意味しますので、耐性が無い方は控えた方が良いでしょう(冗談です)。
2008年7月27日日曜日
2008年7月12日土曜日
OCRESブログ 第10回 ソフトウエア工学
最近は、以前ご紹介したOCRESの試験範囲にも指定されている書籍を発行する事もあり、組込み系・リアルタイム系のソフトウエア工学の話をする事が多くなりました。
そこで、今回のブログでは,それらの対話を通じて非常に良く聞かれる事,2点に付いて書いてみたいと思います。言うなれば、ブログ版FAQ(Frequently Asked Questions)です。
欧米のエンジニアは、ソフトウエア工学をいつどこで、どのように学ぶのか?
最も正確な解答は、「欧米と一言で言っても、国によって様々であり,アメリカと言っても産業や企業ごとに異なる」です・・・と言っても、恐らく大部分の人にとっては、正確過ぎて反って、期待した答になっていないと思いますので、私見も交え、大雑把な図を描いてみたいと思います。
まず第一に、IT系と組込み・リアルタイム系では、様子が少し異なります。
IT系エンジニアは、学校でコンピュータ・サイエンス系のトレーニングを一通り受けてきた人が多いのに対し、組込み・リアルタイム系エンジニアは、むしろ、電子工学や機械工学、化学と言ったコンピュータ・サイエンス以外の分野の専門教育を受けて来た人たちが多数を占めます。
従って、学校でのコンピュータ教育は、言語教育までと言った人が主流となり、ソフトウェア工学のトレーニングは、主に企業内教育の場で行われる事になります。
また、ITと異なり、ハードウェアとソフトウエアの独立性が低く、ハードウェアの設計者であってもソフトウェア側の事情を知らないとシステム設計が出来ない場合が多く(ハードのソフト化)、システム工学と合わせてソフトウェア工学のトレーニングを行います。(現実的には、分野によっては、システム設計の主導権をソフトウェア側が握っており、そういった場合は,ソフトウェア工学を通じてシステム工学を学ぶ事になります。)
そして、企業教育の特徴は、グループによる事例研究や演習を短期間(通例2〜4日間)に集中して行う点であり、学校教育のように、週2時間で半年間という様なパターンは皆無に近いと思います。( ただし、E-ラーニング等で、知識教育を補助的に組み合わせるケースは非常に多い。)
システム品質について
システム品質の話をする場合、時々、NASAの惑星探査ロケットが、かつて、メートル法とフィート法を間違えて距離を測定し、惑星に接近するつもりが,激突してしまった事例を取り上げる事があるのですが、人によって受け取り方が違い、筆者の意図する向きとは正反対の方向に解釈される場合もあるので(恐らく,筆者の言葉足らずのせいでしょう)、ここで、改めてお断りしておきたいと思います。
この話をする時の反応は大きく2つに分かれ、一つは、「メートルとフィートの換算方法は小学生でも知っており、なんで何人もの博士号を持つ技術者たちがチェックしたと言うのに、事前に分からなかったのか? 注意不足にもほどがある。」というものです。
この問題は、例えて言うと、ビット列「 0100 」を一方のソフトは4メートルと解釈し、もう一方は4フィートと解釈する様な現象で、解釈が異なる、つまり意味を取り違えてしまうバグで、意味論的エラー(セマンティック・エラー)と呼ばれる問題です。
実は,このようなバグはソースコード・レビューのようなテスト以外の手法で取り去るのは非常に困難である事が知られています。
また、遠い宇宙空間で走る予定のソフトを地上でテストするのも大きな課題です。(たとえ地上でテストしても、宇宙空間で同じように走る保証がない等)
関係者に取っては、「まさか」に属する種類の間違いですが、残念ながら、このような間違いは人間の注意力では解決されず、よりシステマティックなアプローチが必要である事が専門家の間では常識になっています。
システム工学の進歩も,このような品質問題を解決するために進歩してきました。
最近の飛行機は、昔に比べて数段安全になってきましたが、これは決して、昔に比べて、関係者の注意力が増して来たからではなく、墜落する原因のいくつかが解って来て、それに対してシステム的な対処がなされた事に大きく起因します。
従って、こういった問題で重要な事は、エラーを起こした人間の責任を追及する事ではなく、なぜ、エラーが発生するのか,なぜ防げないのかと言った点を調査する事にあり、それに対しシステマティックな解決策を取る事にあります。(当事者は、説明する責任は当然ながらあります。)
昨今のUMLをはじめとするソフトェア設計手法やテスト手法の発達もシステマティックな解決策の一つです。
最近、重篤な状況下の患者に対し非常に難しい処方を施した医師が、結果的に患者が死亡した責任を問われて逮捕されるニュースが流れましたが、システム屋の目には非常に奇異な事件に感じます。
もちろん、刑罰もシステマティックな手法の一つですが、故意の犯罪に対しては、ある程度限定的に有効だと知られている手法ですが、過失に対する抑止効果は極めて疑問です。(そもそも、リスキーな処方をとる事自身が過失だとする意見に対し、疑問がありますが。)
むしろ、システム的、組織的な問題に対し、何らシステム的、組織的解決をはかろうとしない事自身を問題視すべきでしょう。
そこで、今回のブログでは,それらの対話を通じて非常に良く聞かれる事,2点に付いて書いてみたいと思います。言うなれば、ブログ版FAQ(Frequently Asked Questions)です。
欧米のエンジニアは、ソフトウエア工学をいつどこで、どのように学ぶのか?
最も正確な解答は、「欧米と一言で言っても、国によって様々であり,アメリカと言っても産業や企業ごとに異なる」です・・・と言っても、恐らく大部分の人にとっては、正確過ぎて反って、期待した答になっていないと思いますので、私見も交え、大雑把な図を描いてみたいと思います。
まず第一に、IT系と組込み・リアルタイム系では、様子が少し異なります。
IT系エンジニアは、学校でコンピュータ・サイエンス系のトレーニングを一通り受けてきた人が多いのに対し、組込み・リアルタイム系エンジニアは、むしろ、電子工学や機械工学、化学と言ったコンピュータ・サイエンス以外の分野の専門教育を受けて来た人たちが多数を占めます。
従って、学校でのコンピュータ教育は、言語教育までと言った人が主流となり、ソフトウェア工学のトレーニングは、主に企業内教育の場で行われる事になります。
また、ITと異なり、ハードウェアとソフトウエアの独立性が低く、ハードウェアの設計者であってもソフトウェア側の事情を知らないとシステム設計が出来ない場合が多く(ハードのソフト化)、システム工学と合わせてソフトウェア工学のトレーニングを行います。(現実的には、分野によっては、システム設計の主導権をソフトウェア側が握っており、そういった場合は,ソフトウェア工学を通じてシステム工学を学ぶ事になります。)
そして、企業教育の特徴は、グループによる事例研究や演習を短期間(通例2〜4日間)に集中して行う点であり、学校教育のように、週2時間で半年間という様なパターンは皆無に近いと思います。( ただし、E-ラーニング等で、知識教育を補助的に組み合わせるケースは非常に多い。)
システム品質について
システム品質の話をする場合、時々、NASAの惑星探査ロケットが、かつて、メートル法とフィート法を間違えて距離を測定し、惑星に接近するつもりが,激突してしまった事例を取り上げる事があるのですが、人によって受け取り方が違い、筆者の意図する向きとは正反対の方向に解釈される場合もあるので(恐らく,筆者の言葉足らずのせいでしょう)、ここで、改めてお断りしておきたいと思います。
この話をする時の反応は大きく2つに分かれ、一つは、「メートルとフィートの換算方法は小学生でも知っており、なんで何人もの博士号を持つ技術者たちがチェックしたと言うのに、事前に分からなかったのか? 注意不足にもほどがある。」というものです。
この問題は、例えて言うと、ビット列「 0100 」を一方のソフトは4メートルと解釈し、もう一方は4フィートと解釈する様な現象で、解釈が異なる、つまり意味を取り違えてしまうバグで、意味論的エラー(セマンティック・エラー)と呼ばれる問題です。
実は,このようなバグはソースコード・レビューのようなテスト以外の手法で取り去るのは非常に困難である事が知られています。
また、遠い宇宙空間で走る予定のソフトを地上でテストするのも大きな課題です。(たとえ地上でテストしても、宇宙空間で同じように走る保証がない等)
関係者に取っては、「まさか」に属する種類の間違いですが、残念ながら、このような間違いは人間の注意力では解決されず、よりシステマティックなアプローチが必要である事が専門家の間では常識になっています。
システム工学の進歩も,このような品質問題を解決するために進歩してきました。
最近の飛行機は、昔に比べて数段安全になってきましたが、これは決して、昔に比べて、関係者の注意力が増して来たからではなく、墜落する原因のいくつかが解って来て、それに対してシステム的な対処がなされた事に大きく起因します。
従って、こういった問題で重要な事は、エラーを起こした人間の責任を追及する事ではなく、なぜ、エラーが発生するのか,なぜ防げないのかと言った点を調査する事にあり、それに対しシステマティックな解決策を取る事にあります。(当事者は、説明する責任は当然ながらあります。)
昨今のUMLをはじめとするソフトェア設計手法やテスト手法の発達もシステマティックな解決策の一つです。
最近、重篤な状況下の患者に対し非常に難しい処方を施した医師が、結果的に患者が死亡した責任を問われて逮捕されるニュースが流れましたが、システム屋の目には非常に奇異な事件に感じます。
もちろん、刑罰もシステマティックな手法の一つですが、故意の犯罪に対しては、ある程度限定的に有効だと知られている手法ですが、過失に対する抑止効果は極めて疑問です。(そもそも、リスキーな処方をとる事自身が過失だとする意見に対し、疑問がありますが。)
むしろ、システム的、組織的な問題に対し、何らシステム的、組織的解決をはかろうとしない事自身を問題視すべきでしょう。
2008年6月19日木曜日
OCRESブログ 第9回 ソフトウエア・エンジニアリング教科書
随分前ですが、本ブログで、組込みのためのソフトウェア工学教科書の翻訳者を募集した事がありました。
その後かなりの紆余曲折がありましたが、いよいよ来月7月に(株)アイ・テックより、「第一巻、基礎編」が出版される事になりました。邦題は、「組込みシステムのためのソフトウェアエンジニアリング(基礎編)」です。
本書は、ジム・クーリング氏の世界的名著「 Software Engineering for Realtime Systems」 のパート1に当たり、非常に基本的な分野がカバーされております。
本書の出版に当たり、2時間ほどの無料セミナーを、(株)日立情報制御ソリューションズ様のご好意により施設をお借りして実施する事になりました。 ( 詳しくは、UTI社のホームページ( http://www.umlcert.org )を、ご参照ください。)
また、書店の店頭に並ぶのは、店舗や地域によってかなりばらつくと思われますが(恐らく8月以降?)、上記ホームページでセミナー申し込みと同時に購入予約をし、セミナー会場で受け取る事も可能です。
また、さらに本書をソフトウェア工学のテキストとしてご活用頂く事をご検討頂きたく、本書籍を教科書とした演習中心の標準的な演習セミナーを開催致します。
Aコース: 分析中心 2日間
Bコース: 設計中心 2日間
両コースとも、題材を組込み分野から取り、基礎的なオブジェクト指向分析設計をテーマとしますが、オブジェクト指向以外の他の手法も比較検討と補完の為に使用致します。
企業、学校等で、組込み系のソフトウェア工学の適切な教科書を検討されておられる担当者の方がおられましたら、ぜひご参加をご検討ください。(前提資格として、UMLの簡単な読み書きが出来るレベルを想定しております。(OCUPファンダメンタル取得レベル相当))
このセミナーの申し込みも、上記UTIのホームページから行える予定ですので,一度覗いてみてください。
UTIでは、合わせて、
C: OCUPインターミディエート対策講座
D: OCRES インターミディエート対策講座
E: OCRESインターミディエート水準の設計講座
の各コースも予定しております。
その後かなりの紆余曲折がありましたが、いよいよ来月7月に(株)アイ・テックより、「第一巻、基礎編」が出版される事になりました。邦題は、「組込みシステムのためのソフトウェアエンジニアリング(基礎編)」です。
本書は、ジム・クーリング氏の世界的名著「 Software Engineering for Realtime Systems」 のパート1に当たり、非常に基本的な分野がカバーされております。
本書の出版に当たり、2時間ほどの無料セミナーを、(株)日立情報制御ソリューションズ様のご好意により施設をお借りして実施する事になりました。 ( 詳しくは、UTI社のホームページ( http://www.umlcert.org )を、ご参照ください。)
また、書店の店頭に並ぶのは、店舗や地域によってかなりばらつくと思われますが(恐らく8月以降?)、上記ホームページでセミナー申し込みと同時に購入予約をし、セミナー会場で受け取る事も可能です。
また、さらに本書をソフトウェア工学のテキストとしてご活用頂く事をご検討頂きたく、本書籍を教科書とした演習中心の標準的な演習セミナーを開催致します。
Aコース: 分析中心 2日間
Bコース: 設計中心 2日間
両コースとも、題材を組込み分野から取り、基礎的なオブジェクト指向分析設計をテーマとしますが、オブジェクト指向以外の他の手法も比較検討と補完の為に使用致します。
企業、学校等で、組込み系のソフトウェア工学の適切な教科書を検討されておられる担当者の方がおられましたら、ぜひご参加をご検討ください。(前提資格として、UMLの簡単な読み書きが出来るレベルを想定しております。(OCUPファンダメンタル取得レベル相当))
このセミナーの申し込みも、上記UTIのホームページから行える予定ですので,一度覗いてみてください。
UTIでは、合わせて、
C: OCUPインターミディエート対策講座
D: OCRES インターミディエート対策講座
E: OCRESインターミディエート水準の設計講座
の各コースも予定しております。
2008年6月16日月曜日
OCRESブログ 第8回 メタモデル
先日、H社で社員教育を担当されているW氏とお話をしている際、たまたま話題が、「企業が、大学に対し学生にどう言う教育をして欲しいか」、と言う内容になりました。彼はあまり多くを挙げませんでしたが,筆者の印象に残った点が1つあり、それは学生の作文能力でした。
彼は,毎年今の時期になると、新入社員が送ってくるレポート類に丹念に赤ペンを入れて返しているそうでが、なかなか大変な作業量だそうです。
筆者自身の学生時代や新入社員時代を思い出しても、あまり人の作文能力に関し大きな事は言えませんが、筆者自身の反省も踏まえ、なおかつ、OCRESの勉強にもなるような話題を一つ試みたいと思います。
多くの企業は、ホワイトカラーで入社してくる社員に対し、文章の作成能力を求めますが、これは、決して美文や名文を作成する事を要求しているのではなく、報告書や設計書など、ある程度客観性を持った簡潔で読みやすい文章を要求しています。
ところが、新入社員の方は、往々にして主観と客観がごっちゃになったレポートを作成して来て、読み手を当惑させたりします。これは、語学教育が文学中心な事や、新聞などの影響もあると思いますが、一つ大きな問題として、学生に対し、情報教育がほとんどなされていない事が問題の根底にあると思います。
筆者自身の経験ですが、メタモデリングの話をしていると、往々にして,なぜメタモデルなどを使う必要があるのか?という質問に遭遇します。メタモデルは、基本的に言語の設計図であり、そんなのはモデリングに関係ないじゃないか?という素朴な疑問が生まれるのは当然です。
このモデリング言語とモデルの関係ですが、例えて言うと、数学理論と数学記号の関係に似ています。
ニュートンの公式、F = M Aは、高校時代に習うので多くの方はご存知だと思いますが、このぐらいであれば、数式を使わなくとも自然言語を使ってこの理論を表現する事は可能でしょう。
しかしながら、この公式を使って推論を行ったり、実際の数値計算を行ったりする上で、数式を使わずに自然言語だけで表現するとなると、極めて煩雑になり、間違いの入る余地が大きくなります。また,数学理論が高度になればなるほど、数学の表現法を追加してやる必要が出てきます。さらに、UMLは数式とは異なり、単なる表記法ではなく,モデリング言語であり,言語自身がモデル化されています・・・・。と、ここまでいうと半分くらいの人は分かった気になり、残りの半分は、分かった様な分からない様な気になって,共に沈黙してしまいます。
今回は、いきなりQoSなどという抽象的なメタモデルを持ち出さず、誰もが日々行っているコミュニケーションをメタモデル化して、メタモデルの有用性とコミュニケーション理論の両方を学びましょう。
コミュニケーション理論のメタモデル
下の図は、弊社のPM教育で使っているメッセージの送信者ー受信者モデルを表した図です。
この図は、メッセージの送信者は情報を媒体(音声や文字情報など)に合わせてエンコーディングし、受信者は媒体から情報をデコーディングして情報を取り出す為に、エンコーディング、デコーディングの際に情報の変形が発生し、媒体上にはノイズが入る可能性がと言う事を示していますが、実はこの図そのものがメタモデル的表現なのです。
この図をUMLを使って表現して見ましょう。
下がメタモデル図の一例です。図中は省略してありますが、四角形はすべてメタクラスを表します。
メタクラス図
次が実際のクラス図例です。
と、ここまで書いてスペースが無くなってしまいました。
おおよそ意味は見て取れると思います。
詳しいメタモデルの説明は、次回の「組込みプレス」のOCRES講座に投稿しますので、ご興味のある方はそちらを参照してみてください。
彼は,毎年今の時期になると、新入社員が送ってくるレポート類に丹念に赤ペンを入れて返しているそうでが、なかなか大変な作業量だそうです。
筆者自身の学生時代や新入社員時代を思い出しても、あまり人の作文能力に関し大きな事は言えませんが、筆者自身の反省も踏まえ、なおかつ、OCRESの勉強にもなるような話題を一つ試みたいと思います。
多くの企業は、ホワイトカラーで入社してくる社員に対し、文章の作成能力を求めますが、これは、決して美文や名文を作成する事を要求しているのではなく、報告書や設計書など、ある程度客観性を持った簡潔で読みやすい文章を要求しています。
ところが、新入社員の方は、往々にして主観と客観がごっちゃになったレポートを作成して来て、読み手を当惑させたりします。これは、語学教育が文学中心な事や、新聞などの影響もあると思いますが、一つ大きな問題として、学生に対し、情報教育がほとんどなされていない事が問題の根底にあると思います。
筆者自身の経験ですが、メタモデリングの話をしていると、往々にして,なぜメタモデルなどを使う必要があるのか?という質問に遭遇します。メタモデルは、基本的に言語の設計図であり、そんなのはモデリングに関係ないじゃないか?という素朴な疑問が生まれるのは当然です。
このモデリング言語とモデルの関係ですが、例えて言うと、数学理論と数学記号の関係に似ています。
ニュートンの公式、F = M Aは、高校時代に習うので多くの方はご存知だと思いますが、このぐらいであれば、数式を使わなくとも自然言語を使ってこの理論を表現する事は可能でしょう。
しかしながら、この公式を使って推論を行ったり、実際の数値計算を行ったりする上で、数式を使わずに自然言語だけで表現するとなると、極めて煩雑になり、間違いの入る余地が大きくなります。また,数学理論が高度になればなるほど、数学の表現法を追加してやる必要が出てきます。さらに、UMLは数式とは異なり、単なる表記法ではなく,モデリング言語であり,言語自身がモデル化されています・・・・。と、ここまでいうと半分くらいの人は分かった気になり、残りの半分は、分かった様な分からない様な気になって,共に沈黙してしまいます。
今回は、いきなりQoSなどという抽象的なメタモデルを持ち出さず、誰もが日々行っているコミュニケーションをメタモデル化して、メタモデルの有用性とコミュニケーション理論の両方を学びましょう。
コミュニケーション理論のメタモデル
下の図は、弊社のPM教育で使っているメッセージの送信者ー受信者モデルを表した図です。
この図は、メッセージの送信者は情報を媒体(音声や文字情報など)に合わせてエンコーディングし、受信者は媒体から情報をデコーディングして情報を取り出す為に、エンコーディング、デコーディングの際に情報の変形が発生し、媒体上にはノイズが入る可能性がと言う事を示していますが、実はこの図そのものがメタモデル的表現なのです。
この図をUMLを使って表現して見ましょう。
下がメタモデル図の一例です。図中は省略してありますが、四角形はすべてメタクラスを表します。
メタクラス図
次が実際のクラス図例です。
と、ここまで書いてスペースが無くなってしまいました。
おおよそ意味は見て取れると思います。
詳しいメタモデルの説明は、次回の「組込みプレス」のOCRES講座に投稿しますので、ご興味のある方はそちらを参照してみてください。
2008年5月28日水曜日
OCRESブログ 第7回 UMLプロファイルの目的
筆者が中学生の頃、父の友人で、地方で温泉旅館を経営する方から招待を受け、家族で温泉旅行に行った事があります。
着いてみると、それは近代風の立派な建物で、ホテルと伝統的な和風旅館の形式を合わせた様なところでした。 その立派な旅館の一番良い部屋に家族で泊めてもらい、翌日は彼自身が運転する車で、周りの観光地へ案内してくれました。
そして、いくつかの名所を回った後、夕方頃になって帰路に着こうとしたとき、彼は、思い出したように、確かこの奥にあったはずだと言いながら、車を脇道へ入れ一本道をしばらく走らせて行きました。
一本道がどのくらいあったかは、全く思い出せませんが、着いた場所は、海の傍の丘の上にある一種の戦争博物館でした。
戦争博物館と言っても、中学生の男の子が喜びそうな戦車や戦闘機が置いてある訳ではなく、穴の空いた錆びた鉄兜や、ぼろぼろになった背嚢やもんぺ等が展示してあるだけでした。
筆者は、内心かなり退屈を感じながらも、一生懸命説明をしてくれる父の友人と一緒に、展示物の間を巡っていました。
筆者は仕方なく聞いているという風で、彼の話の中で憶えている事は、唯一、彼自身、戦争中は予科練に行って飛行機乗りになる訓練を受けていて、その訓練の最中に戦争が終わった、という事ぐらいです。
そして、ガラスケースの中を指差しながら説明する彼の声が、あるときから急に変わってしまった事に気がつきました。
振り返ると、彼は涙をぽろぽろ流しながら、嗚咽を堪えるように説明を続けていました。
筆者は、同情するというよりも、むしろ驚きました。というのも、彼は、中学生にとっては刺激的過ぎる下ねたジョークで、泊まり客たちを笑わせており、筆者は、彼を品のないただの中年オヤジぐらいにしか見ていなかったのです。
ガラスケースの中には、特攻隊員たちが残した手紙やはがきが展示してありました。戦後30年近くたってもなお涙ぐむほど、彼の心の傷は深かったのかも知れません。
特攻は、今の時代では狂気の沙汰としか思えませんが、彼らは決して狂気に駆られて死地に赴いたのではない事は、残された手紙類が証明しています。
ある少年兵が飛び立つ前に最後に家族に宛てた手紙の末尾が、「母さん、長生きしてください。」とあったのは、その出来事からさらに30年以上たった今でも憶えています。
一般資源モデリング
OCRESの主要なトピックスとして、各種のUMLプロファイルがあります。これらの目的の話から入って往きましょう。
近年、オブジェクト指向開発がポピュラーになりツールがどんどんと高度化されるに従って、システム開発の時間配分が随分と変わってきました。
かつては、最も長い時間をかけていたコーディングのフェーズが非常に短くなり、場合によっては設計フェーズに付随する付属的な活動と見なせるほど、コーディング単体にかける時間割合そのものが短くなりました。
逆に割合が増えているのが設計フェーズ、特に分析にかけるワークロードが相対的に重要な位置を占めるようになってきました。
一言で組込み系、リアルタイム系と言っても、様々な分野があり、時計から、航空機、ロケット等、個々の分野に特化した分析方法があります。
ところが逆に、これらの多彩な分析方法に、一貫して共通してみられる分析過程が存在します。
図 GRM1-1は、その活動をユースケース表現したものです。
図中のモデラーは、システムの設計を行う人で、モデルを構築し分析し実装する人です。 そして、分析方法の提供者は、モデラーの分析過程をサポートする人で、分析方法を提供し、分析のために必要な資源モデルを提供しますが、UMLのプロファイルは、スケジューラビリティ分析および性能分析のためのフレームワークを提供し、モデラーをサポートします。
着いてみると、それは近代風の立派な建物で、ホテルと伝統的な和風旅館の形式を合わせた様なところでした。 その立派な旅館の一番良い部屋に家族で泊めてもらい、翌日は彼自身が運転する車で、周りの観光地へ案内してくれました。
そして、いくつかの名所を回った後、夕方頃になって帰路に着こうとしたとき、彼は、思い出したように、確かこの奥にあったはずだと言いながら、車を脇道へ入れ一本道をしばらく走らせて行きました。
一本道がどのくらいあったかは、全く思い出せませんが、着いた場所は、海の傍の丘の上にある一種の戦争博物館でした。
戦争博物館と言っても、中学生の男の子が喜びそうな戦車や戦闘機が置いてある訳ではなく、穴の空いた錆びた鉄兜や、ぼろぼろになった背嚢やもんぺ等が展示してあるだけでした。
筆者は、内心かなり退屈を感じながらも、一生懸命説明をしてくれる父の友人と一緒に、展示物の間を巡っていました。
筆者は仕方なく聞いているという風で、彼の話の中で憶えている事は、唯一、彼自身、戦争中は予科練に行って飛行機乗りになる訓練を受けていて、その訓練の最中に戦争が終わった、という事ぐらいです。
そして、ガラスケースの中を指差しながら説明する彼の声が、あるときから急に変わってしまった事に気がつきました。
振り返ると、彼は涙をぽろぽろ流しながら、嗚咽を堪えるように説明を続けていました。
筆者は、同情するというよりも、むしろ驚きました。というのも、彼は、中学生にとっては刺激的過ぎる下ねたジョークで、泊まり客たちを笑わせており、筆者は、彼を品のないただの中年オヤジぐらいにしか見ていなかったのです。
ガラスケースの中には、特攻隊員たちが残した手紙やはがきが展示してありました。戦後30年近くたってもなお涙ぐむほど、彼の心の傷は深かったのかも知れません。
特攻は、今の時代では狂気の沙汰としか思えませんが、彼らは決して狂気に駆られて死地に赴いたのではない事は、残された手紙類が証明しています。
ある少年兵が飛び立つ前に最後に家族に宛てた手紙の末尾が、「母さん、長生きしてください。」とあったのは、その出来事からさらに30年以上たった今でも憶えています。
一般資源モデリング
OCRESの主要なトピックスとして、各種のUMLプロファイルがあります。これらの目的の話から入って往きましょう。
近年、オブジェクト指向開発がポピュラーになりツールがどんどんと高度化されるに従って、システム開発の時間配分が随分と変わってきました。
かつては、最も長い時間をかけていたコーディングのフェーズが非常に短くなり、場合によっては設計フェーズに付随する付属的な活動と見なせるほど、コーディング単体にかける時間割合そのものが短くなりました。
逆に割合が増えているのが設計フェーズ、特に分析にかけるワークロードが相対的に重要な位置を占めるようになってきました。
一言で組込み系、リアルタイム系と言っても、様々な分野があり、時計から、航空機、ロケット等、個々の分野に特化した分析方法があります。
ところが逆に、これらの多彩な分析方法に、一貫して共通してみられる分析過程が存在します。
図 GRM1-1は、その活動をユースケース表現したものです。
図中のモデラーは、システムの設計を行う人で、モデルを構築し分析し実装する人です。 そして、分析方法の提供者は、モデラーの分析過程をサポートする人で、分析方法を提供し、分析のために必要な資源モデルを提供しますが、UMLのプロファイルは、スケジューラビリティ分析および性能分析のためのフレームワークを提供し、モデラーをサポートします。
2008年3月6日木曜日
OCRESブログ 第6回 品質モデル QoS
OCRESブログでは、本日から数回にわたり、品質モデルについて議論したいと思います。
品質は、単に組込み系、リアルタイム系だけの問題ではなく、IT系とも共通する問題です。
OCRESで取り上げる品質モデルも、単に組込み系を対象にしたものではなく、IT系とも共通するものです。
QoS サービス品質
品質は、戦後日本のお家芸の分野であり、その製品品質は世界をリードしており、わざわざ改めて学ぶ必要はなさそうです。しかしながら、その日本の世界最高峰の品質に関し一点気がかりな所があり、それがサービス品質(QoS)の概念です。
QoSは、システムが複雑巨大になるに従って重大な問題になって行きます。
一例として、行政サービスを考えてみましょう。日本の個人レベルでのサービス精神は、世界に誇れるものがあります。
ところが、窓口の人はそれなりに一生懸命にやってくれていても、結果的に行政サービス全体としては必ずしも満足いくものではないケースがあります。
また、悪名高い年金サービスですが、国民に対するサービス品質は極めて悪いと言わざるをえず、これは、個々人の担当者の資質の問題を遥かに超えて、明らかにシステムレベル(ITシステムだけではなく、組織機構全体としてのシステム)の問題です。
また、行政サービスだけではなく、民間のマネジメントのサービス品質も重要な問題です。資料によっては、日本のホワイトカラーの生産性は、先進国中で最低の水準にあると報告されています。
システムレベルでのQoS、あるいはシステム工学の面白い点は、例えば、最高の構成要素や部品を使って作られたシステムが最悪のサービスしか提供できなかったり、逆に、構成要素、部品はたいした事がないのに、総合的に最高のパフォーマンスを提供するシステムが出来上がったりする所です。
(ちなみに、システム・エンジニアという言葉は、日本では最近はITエンジニアの一職種を示す言葉として用いられていますが、海外では、本来の広範な意味、すなわち広義のシステム工学に従事する者と言う意味で使われることが多く、ロケット工学等も広義のシステム工学の一つです。)
QoS、サービス品質、という言葉は、世間一般で言われる品質と言う意味よりも、より広範な要素を含み、自然発生的に存在するものではなく、人間が積極的に定義し、評価し管理して行かなければならない概念です。
品質は、単に組込み系、リアルタイム系だけの問題ではなく、IT系とも共通する問題です。
OCRESで取り上げる品質モデルも、単に組込み系を対象にしたものではなく、IT系とも共通するものです。
QoS サービス品質
品質は、戦後日本のお家芸の分野であり、その製品品質は世界をリードしており、わざわざ改めて学ぶ必要はなさそうです。しかしながら、その日本の世界最高峰の品質に関し一点気がかりな所があり、それがサービス品質(QoS)の概念です。
QoSは、システムが複雑巨大になるに従って重大な問題になって行きます。
一例として、行政サービスを考えてみましょう。日本の個人レベルでのサービス精神は、世界に誇れるものがあります。
ところが、窓口の人はそれなりに一生懸命にやってくれていても、結果的に行政サービス全体としては必ずしも満足いくものではないケースがあります。
また、悪名高い年金サービスですが、国民に対するサービス品質は極めて悪いと言わざるをえず、これは、個々人の担当者の資質の問題を遥かに超えて、明らかにシステムレベル(ITシステムだけではなく、組織機構全体としてのシステム)の問題です。
また、行政サービスだけではなく、民間のマネジメントのサービス品質も重要な問題です。資料によっては、日本のホワイトカラーの生産性は、先進国中で最低の水準にあると報告されています。
システムレベルでのQoS、あるいはシステム工学の面白い点は、例えば、最高の構成要素や部品を使って作られたシステムが最悪のサービスしか提供できなかったり、逆に、構成要素、部品はたいした事がないのに、総合的に最高のパフォーマンスを提供するシステムが出来上がったりする所です。
(ちなみに、システム・エンジニアという言葉は、日本では最近はITエンジニアの一職種を示す言葉として用いられていますが、海外では、本来の広範な意味、すなわち広義のシステム工学に従事する者と言う意味で使われることが多く、ロケット工学等も広義のシステム工学の一つです。)
QoS、サービス品質、という言葉は、世間一般で言われる品質と言う意味よりも、より広範な要素を含み、自然発生的に存在するものではなく、人間が積極的に定義し、評価し管理して行かなければならない概念です。
2008年2月28日木曜日
OCRESブログ 第5回 アジリティ(俊敏さ)と組込み系開発
今月になって、アメリカ次期大統領選がヒートアップして来て、アメリカ人たちはかなり盛り上がっております。
傍目には、非常に楽しそうであり、知り合いのアメリカ人に、ストレートに、「楽しそうだな?」と聞いてみた所、ちょっと渋い表情になり、「楽しいんではなく、これ以外にアメリカの将来に期待できる事がないからだ」と呻いていました。
この発言に、果たして、日本人として同情すべきか、あるいは、羨むべきかは意見の分かれる所でしょうが、1つ言える事は、アメリカの組織は、それが政府や会社であろうと、あるいは、もっと小さなセクションであろうと、トップが変わると、がらりと内容も変わる事ができる点です。
管見では、イギリスの組織もそういう傾向があり、それに対し、日本は言うまでもなく、フランス・ドイツの組織もなかなかトップの言う事を聞きません。
ドイツやフランスでは、意思決定は、ある程度、組織的コンセンサスを経て行われる傾向があるのに対し、歴史的に最も早く議会制民主主義が発達した国、イギリスは、かえって、トップの独断的決断を尊重する傾向があるようです。
従って、英米系の組織では、トップの決断にそった移行が素早く行われる事が特長的で、周りも、しばらくの間は、変化を静観する傾向があります。そして、この特長が、素早い変化が要求される分野やタイミングには、英米型組織の強みとなっているようです。
しかしながら、組織が巨大化してくると、英米型組織でも、変化が素早く行えなくなってきており、俊敏さ(アジリティ)をいかに維持し、高めるかは、大きな課題になってきています。
日本においても、アジリティは重要な課題ですが、英米系で議論される方法論に加え、文化的障壁も考える必要があります。
かつて、第二次大戦後の最初の首相、吉田茂氏は、きわめてワンマンであったという悪評がありますが、その基準でいくと、アメリカの大統領を含め、大部分のアメリカ型の組織のトップは、大ワンマンになります。
また、ワンマンという言葉が、悪い意味になるのも、かなり文化的判断が入っています。果たして、吉田茂氏が、あの当時、ワンマン以外の方法で、難局を乗り切れたかどうかは、かなり疑問です。
現在、日本型組織、特に官僚組織は、かなり時代遅れなものになってきてるのは、誰の目にも明らかになってきていますが(ただし、当事者である役人たちの目は除いた方が良いかもしれませんが)、おそらく、方法論だけの議論では不十分でしょう。文化的側面にメスを入れ、この分野での議論を行う必要がありそうです。
アジリティと組込み系開発
組込み系開発は、要求される品質水準も高い上に、頻繁な更改を必要とする局面が多く、メンテナンスの品質と言う問題は、多くの企業にとり、非常に頭の痛い問題です。
組織によっては、大部分のエンジニアが、メンテナンス作業に張り付き、新しい技術の研究開発が全く行えなくなったり、また、ソースコードを担当別に分けた結果、担当者以外には誰も分からないものになってしまっているといった事態は、けっして珍しいことではありません。
また、変更を直接ソースコードに行う事も、それほど珍しくありません。
設計図を用いたメンテナンス
あえてオブジェクト指向とかUMLとか言う言葉出さなくても、歴史的には、こういった問題は設計図を用いたアプローチ、つまりモデルを用いた方法で、かなり状況が改善される事が知られていました。
オブジェクト指向という言葉がない時代から、ソフトウエア・アーキテクチャという言葉は存在し、その頃から、設計者たちは、図形や表を用いてソフトウエアの構造を設計していました。
そして、メンテナンスの際も、設計図にあたりながら、問題が、設計上のバグなのか、コーディング上のバグなのかを峻別し、前者であれば、設計変更を行う形で問題をフィックスして行きました。一見、回りくどいやり方ですが、最終的には、この方法が品質的にもコスト的にも最前である事が、知られてきています。
そして、フィックスしたコードのテストも、設計図を元に行います。今はやりの、モデル・ドリブン・テストの原型が、オブジェクト指向以前からありました。
設計図を利用しないテストでは、テストそのものがブラックボックス型になりやすく、テスト・カバレッジが悪い傾向があります。
また、リリースアップ等の場合も、直接ソースをいじるのではなく、設計図を書いて行う方が、最終的には、素早く安全に行える事が知られていました。
オブジェクト指向/UML化
オブジェクト指向以前のソフトウエア設計図を用いた方法でも、いきなりソースコードのみをメンテナンスするよりは、一定の効果が得られますが、問題も残っています。
一つは、設計者ごとに書き方がバラバラで、他の人が非常に読みにくい事で、これはメンテナンスをチームで行う上での大きな障害となっていました。また、2つ目は、設計方法にばらつきがあり、ソフトウエアの強度の水準の維持が難しい事です。
また、書き方がバラバラなために、設計ツールがなく、必要なら自分で作らなければなりませんでした。
90年代以降、欧米の開発現場で、オブジェクト指向が急速に受け入れられてきた背景には、この種の問題に解決策を提供する事が明白になってきた事が、挙げられます。
UMLを使う事により、モデリングおよび表記法が統一され、また、自分で開発ツールを作らなくても、市販のツールを利用する事ができます。
そして、オブジェクト指向設計のアプローチにより、モジュラー構造やコンポーネント構造が半ば自然にとられ、ソフトウエア強度が上がり、品質も格段にあがる事が、明白になってきました。
そして、企業の生命線であるアジリティも、品質を確保した上で、向上する事が、広く認められるようになってきました。
傍目には、非常に楽しそうであり、知り合いのアメリカ人に、ストレートに、「楽しそうだな?」と聞いてみた所、ちょっと渋い表情になり、「楽しいんではなく、これ以外にアメリカの将来に期待できる事がないからだ」と呻いていました。
この発言に、果たして、日本人として同情すべきか、あるいは、羨むべきかは意見の分かれる所でしょうが、1つ言える事は、アメリカの組織は、それが政府や会社であろうと、あるいは、もっと小さなセクションであろうと、トップが変わると、がらりと内容も変わる事ができる点です。
管見では、イギリスの組織もそういう傾向があり、それに対し、日本は言うまでもなく、フランス・ドイツの組織もなかなかトップの言う事を聞きません。
ドイツやフランスでは、意思決定は、ある程度、組織的コンセンサスを経て行われる傾向があるのに対し、歴史的に最も早く議会制民主主義が発達した国、イギリスは、かえって、トップの独断的決断を尊重する傾向があるようです。
従って、英米系の組織では、トップの決断にそった移行が素早く行われる事が特長的で、周りも、しばらくの間は、変化を静観する傾向があります。そして、この特長が、素早い変化が要求される分野やタイミングには、英米型組織の強みとなっているようです。
しかしながら、組織が巨大化してくると、英米型組織でも、変化が素早く行えなくなってきており、俊敏さ(アジリティ)をいかに維持し、高めるかは、大きな課題になってきています。
日本においても、アジリティは重要な課題ですが、英米系で議論される方法論に加え、文化的障壁も考える必要があります。
かつて、第二次大戦後の最初の首相、吉田茂氏は、きわめてワンマンであったという悪評がありますが、その基準でいくと、アメリカの大統領を含め、大部分のアメリカ型の組織のトップは、大ワンマンになります。
また、ワンマンという言葉が、悪い意味になるのも、かなり文化的判断が入っています。果たして、吉田茂氏が、あの当時、ワンマン以外の方法で、難局を乗り切れたかどうかは、かなり疑問です。
現在、日本型組織、特に官僚組織は、かなり時代遅れなものになってきてるのは、誰の目にも明らかになってきていますが(ただし、当事者である役人たちの目は除いた方が良いかもしれませんが)、おそらく、方法論だけの議論では不十分でしょう。文化的側面にメスを入れ、この分野での議論を行う必要がありそうです。
アジリティと組込み系開発
組込み系開発は、要求される品質水準も高い上に、頻繁な更改を必要とする局面が多く、メンテナンスの品質と言う問題は、多くの企業にとり、非常に頭の痛い問題です。
組織によっては、大部分のエンジニアが、メンテナンス作業に張り付き、新しい技術の研究開発が全く行えなくなったり、また、ソースコードを担当別に分けた結果、担当者以外には誰も分からないものになってしまっているといった事態は、けっして珍しいことではありません。
また、変更を直接ソースコードに行う事も、それほど珍しくありません。
設計図を用いたメンテナンス
あえてオブジェクト指向とかUMLとか言う言葉出さなくても、歴史的には、こういった問題は設計図を用いたアプローチ、つまりモデルを用いた方法で、かなり状況が改善される事が知られていました。
オブジェクト指向という言葉がない時代から、ソフトウエア・アーキテクチャという言葉は存在し、その頃から、設計者たちは、図形や表を用いてソフトウエアの構造を設計していました。
そして、メンテナンスの際も、設計図にあたりながら、問題が、設計上のバグなのか、コーディング上のバグなのかを峻別し、前者であれば、設計変更を行う形で問題をフィックスして行きました。一見、回りくどいやり方ですが、最終的には、この方法が品質的にもコスト的にも最前である事が、知られてきています。
そして、フィックスしたコードのテストも、設計図を元に行います。今はやりの、モデル・ドリブン・テストの原型が、オブジェクト指向以前からありました。
設計図を利用しないテストでは、テストそのものがブラックボックス型になりやすく、テスト・カバレッジが悪い傾向があります。
また、リリースアップ等の場合も、直接ソースをいじるのではなく、設計図を書いて行う方が、最終的には、素早く安全に行える事が知られていました。
オブジェクト指向/UML化
オブジェクト指向以前のソフトウエア設計図を用いた方法でも、いきなりソースコードのみをメンテナンスするよりは、一定の効果が得られますが、問題も残っています。
一つは、設計者ごとに書き方がバラバラで、他の人が非常に読みにくい事で、これはメンテナンスをチームで行う上での大きな障害となっていました。また、2つ目は、設計方法にばらつきがあり、ソフトウエアの強度の水準の維持が難しい事です。
また、書き方がバラバラなために、設計ツールがなく、必要なら自分で作らなければなりませんでした。
90年代以降、欧米の開発現場で、オブジェクト指向が急速に受け入れられてきた背景には、この種の問題に解決策を提供する事が明白になってきた事が、挙げられます。
UMLを使う事により、モデリングおよび表記法が統一され、また、自分で開発ツールを作らなくても、市販のツールを利用する事ができます。
そして、オブジェクト指向設計のアプローチにより、モジュラー構造やコンポーネント構造が半ば自然にとられ、ソフトウエア強度が上がり、品質も格段にあがる事が、明白になってきました。
そして、企業の生命線であるアジリティも、品質を確保した上で、向上する事が、広く認められるようになってきました。
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