ストラタジーナム メニュー

2007年12月13日木曜日

OCRESブログ 第4回 詩人の娘とコンピュータ

明治の前半は、海外の文献を日本語に翻訳することが学者たちの大きな仕事でした。
現代人と明治人の教養の違いに漢籍の知識が挙げられますが、その素養の高さは、彼らが西洋語と格闘し作り出した訳語の幾つかは、漢籍の本場である中国に逆輸出された事で窺い知る事ができます。
「哲学」、「形而上学」、「理性」等が、その代表的な訳語として挙げられますが、変わった所では、「科学的」、「経済的」という言葉に使われる「的」と言う文字で、「ファンタスティック」などの形容詞の語尾、「ティック」を音訳したものだと言われており、現代の中国語でも頻繁に登場します。

そして、数ある翻訳のうち、最も苦労が忍ばれるのが、文学、就中、詩の翻訳でしょう。
直訳しても、何ら感興を催さず、やむを得ず意訳が試みられますが、場合によっては意味が全く変わってしまいます。夏目漱石は、かつて、"I love you"を(やむを得ず?)「月がきれいですね」と意訳したそうですが、明治の女性ならともかく、現代の女性には全く通じそうにありません。単なる天文オタクと思われる危険性があります。

さて、漱石たちを苦しめた英文学の作者に有名な詩人、バイロンがいます。
バイロンは、「バビロン川の畔にて」などに代表されるエキゾチシズムに富んだ作風が日本でも好まれ、明治期では最も有名であった英詩人ですが、破天荒な人生をギリシャ戦争中に終えています。
そして、彼の一人娘、エイダは、少なくともコンピュータ業界では、父親よりも遥かに有名な人物になっています。彼女は世界最初の伝説のプログラマーと言われ、コンピュータ言語、Adaは彼女の名前からとられています。



Ada と組込み系

組込み系システムを代表するコンピュータ言語はと聞かれると、アセンブラを除くと、おそらく世界的にはAdaを挙げる人が多いでしょう。Adaは日本では非常に影が薄いのですが、それでも、世界的に見るとAdaは最右翼に位置するでしょう。
最初期は、アメリカ国防総省案件だけに使われていましたが、現在では、宇宙航空分野だけでなく、安全性、信頼性を重視する分野で幅広く使われるようになりました。

80年代、筆者はアメリカのコンピュータメーカーの研究所に勤めておりましたが、当時人気のあった内部トレーニング・コースの一つがAdaを用いた設計演習でした。
レーガン大統領が戦略防衛構想を立ち上げ国防総省の入札条件の一つがAdaになると、国防総省にシステムを納入しているベンダーたちは、こぞってAdaのトレーニングを立ち上げました。筆者の勤めていた企業も例外ではなく、Adaは一躍、脚光を浴び、内部で方法論の研究が始まり、トレーニング・プログラムの殆どは重要機密扱いを受け、受講者たちはNDAにサインしてから教室に入りました。
現在、Adaは、世界標準になった最初のオブジェクト指向言語、実装言語として有名ですが、80年代では、実装言語というよりもむしろ設計言語と言う面が強く、実際、国防総省の入札条件も、「Adaを使ってプログラミングしろ」と言うものではなく、「フォーマル・ベリフィケーションが可能な設計言語を使って設計しろ」と言うものでした。そして、当時、フォーマル・ベリフィケーション、あるいは設計(ハイレベル・デザインを含む)に使える言語と言うと、事実上Adaしかありませんでした。

そして、ソフトウエア技術者たちは、Adaで設計した後、しばしば手作業でアセンブラに落としていました。
これは、当時のコンパイラ技術が未熟であった事とともに、コンピュータそのものが遅く、コンパイルに延々時間がかかり、オブジェクトコードがアセンブラで書いたものに比べて、比較にならないぐらい遅かった所為です。

現在、Adaは宇宙航空分野ではデファクト・スタンダードになっており、最新鋭のジェット戦闘機F-22のソフトウエアもAdaで書かれているほか、他の安全性を重視する分野でも中心的な役割を演じています。

UMLツールを始め、組込み系ツールの多くはAdaをサポートしており、組込みの女王の地位は当分揺らぎそうにありません。


12月13日 シスコのカフェにて記す