最近本屋に行くと地形に関する本が良く並んでいます。
筆者も、マニアと言うほどではありませんが地図、特に地形図を見るのが好きでよく見ます。(時間があれば、一日中見ていたいのですが、なかなか、そうはいきません。)
また最近は、オンライン上でも地形図が手に入り易くなりたいへん重宝しています。
特に気に入っているのがGoogle Earth のアドインで、東京の武蔵野台地の構造が色つきで一目で分かるようになっているものです。
都内に住んでいると、大小のビルが建て込んでいて元の地形が非常に分かりづらくなって来ているのですが、このソフトだと一目瞭然です。
一例を挙げてみましょう。
筆者の自宅のそばに四谷という街があります。
四谷と言う地名は家康入国以前からある事が知られていますが、語源ははっきりしません。
江戸時代に書かれた書物「御府内備考」には、『甲州街道筋に4軒の旧家、梅屋、木屋、茶屋、布屋があって「四家」と呼ばれていたが、いつの頃からか「四谷」と書くようになった』とありますが、これは明らかにおかしく、これらの4軒の家は、家康入府以後、江戸時代になって移住してきたものであり、時代が合いません。
恐らく、四谷も他の千駄ヶ谷や市ヶ谷などの「○○谷」地名と同じく、谷地形から取られたものでしょう。
地形図でそれを確認してみましょう。
下の図は、四谷を中心とした地形図で、中央の窪んだ谷地形が四谷の地名の発祥地域です。
この図から、四谷も他の東京の古い町筋と同様、谷地(やち)に発達した集落であった事が分かります。
また、一説には、四谷は4つの谷と言う意味だと言われていますが、谷の形状を見ると、その説もなかなか説得力があります。(北から南に走る谷に、西から3本の谷が入っていて、合計4つの谷から出来ているように見えます。)
図中の414号線を示す六角形の記号の右手(東側)の三角形の地所は迎賓館です。
この地図上は、現在は、赤坂御所(赤坂御苑)以外の部分はすべて大小のビルで覆われていますので、元の地形は想像する事が非常に難しくなってきています。
こういった場所を散策するには、このソフトは手放せません。