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2011年4月8日金曜日

日本型パターン その2

筆者は、この四月から大学の教師を兼務することになり、大学の先生方ともこの日本型パターンについて話をする機会が増えました(多くは、飲み会ですが)。

さて、筆者が少年時代、神戸の街で聞いたジョークに次のような話があります。
第二次大戦後の戦評で、兵士として最も優秀な兵はロシア兵だった。そして、下士官が最も優秀だったのは日本軍だった。士官(参謀)が最も優秀だったのはドイツ。そして将軍が最も優秀だったのはアメリカ軍だった。
 その当時は、旧日本軍は上層部へ行くほど人材が薄かったんだな、程度で聞き流してたのですが、改めて考えてみると、この傾向は多くの日本型組織に共通に見られるパターンです。
現代の組織に当てはめてみると、下士官、つまり現場のトップが一番優秀で、それより上位のポジションでは、上に行けば行くほど、そのポジションが求める能力が発揮できない、失われていく傾向にある、と言えます。
終戦後60年以上経ちますが、この日本型組織の特徴は、未だに引きずっているようです。

2011年3月22日火曜日

日本型パターン その1

1週間前、東北地方は未曾有の大震災に襲われ、多くの人命が失われました。そして今なお危険な状態に置かれた人々も膨大な数にのぼっています。
改めて、亡くなられた方々のご冥福を御祈念し、ご不便な生活を強いられている方々にお見舞い申し上げます。

本日のブログは、あえて地震の話題を避け、久しぶりにプロマネ関係のお話をしたいと思います。
この話は、去る1月の「BPM/SOA/クラウドフォーラム」でもちょっと触れたましたが、一つの事象が2つの異なる見え方に見える、いわば日本映画の傑作「羅生門」の様なエピソードです。

筆者の会社はフランス系北米のPM関係のコンサルティング会社と提携しており、過去の数字的にはプロマネ関係の仕事の方がむしろ本業と言えます。
昨年、日本郵便のサービス統合で大きなトラブルに見舞われ事は皆さんの記憶にも新しいと思いますが、過去、銀行のシステム統合プロジェクト関連のトラブルや、ITプロジェクトの破綻などが、よく我々の職場でも話題になります。
また、多くのプロジェクトが失敗に至る過程が、いくつかのパターンに分類される事に着目してきました。
そして先に揚げた日本のプロジェクトの大規模なトラブルの例に、共通のパターンがある事がある事がよく話題にのぼります。

そのパターンというのは、これらのプロジェクトは共通して、細かい項目はかなり精査され綿密に計画されるのに対し、それらの上位項目である中項目や大項目が決定されないままであり、従って詳細項目も暫定的なものにならざるを得ず、その上位項目の決定がどんどん遅れていき、最後に破綻に至るパターンです。
このパターンは、むしろ日本固有と言って良いと思います。
これは、このパターンが日本でしか見られないと言う意味ではなく、このパターンが分野を問わず日本の組織に広く遍在し、かつ省みられることなく何度も繰り返される、と言う意味で日本固有です。

欧米人と日本人で異なる見え方

このパターンに対し欧米人と日本人では異なる見解を示します。
欧米人のコンサルタント達は、これは能力の問題というとらえ方をします。
彼らの目には、日本の組織は、ポジションが上がるにつれ、そのポジションに就く人間のマネジメント能力が劣って行く様に映ります。
つまり、ポジションが上がるにつれ、そのポジションに要求される決断力やリーダーシップ、場合によっては政治力が欠落して行く様に見えます。
現場で求められる能力と、上位のポジションで求められる能力は、明らかに異なる訳ですが、日本の組織は往々にして、後者の能力がポジションが上がれば上がるほど欠落していくように彼らには映るらしいのです。
また逆に、外国人コンサルト達は、異口同音に、現場レベルの人間達の優秀さに驚くと言います。
破綻したプロジェクトの中で、現場レベルの人々が何とか問題を収拾しながら、曲がりなりにも解決して行く能力は驚嘆に値すると言います。

一方、日本人のコンサルタントには、このパターンは、能力の問題とは映らず、むしろ組織に戦略眼、戦略の視点が欠けている事に問題を感じます。
また、能力に関しては、欧米に比べ、組織全体がかなり均質的である様に感じる傾向があります。

(続く)


2011年2月24日木曜日

SysML 中級講座: 第8回 日本のモデリング事情  2

今年の正月から、筆者は、アップル社のitunes Uで、イェール大学が提供している古代ギリシャ史の講義を聴講しています。
本当は、古代メソポタミアとか中東史の講義が聴きたかったのですが、残念ながら見あたらず、その代わり、アメリカ史とか古代ローマ、古代ギリシャ史と言った、いかにもつまらなそうな、聞き始めるといきなり睡魔に襲われ1分以内に爆睡しそうなタイトルばかりが並んでいました。
仕方なく、ものは試しとギリシャ史を聞き始めた所、意外にも非常に面白く、ギリシャ国民の方々に、筆者のひねくれた偏見を心からお詫びしたくなりました。

英語のヒアリングに関しても、CNNなんかのニュース番組と比べると、講師の口調はゆっくりと聞き取りやすい感じです。
難を言えば、聞き始めの頃、ギリシャの固有名詞が、非道いアメリカ訛りで発音されるので(例えば、ミケーネ文明の事をマイセーニ、詩人のホメロスの事をホーマーと言った風)、何の事か戸惑いましたが、すぐに慣れますので、英語の学習教材としてももってこいだと思います。

最近は、ギリシャ史に加えて、MIT(マサチューセッツ工科大学)提供の数学の講義の聴講を始めました。
筆者が学生だった頃、数学の講義というと、教官が黒板一杯に数式を書き並べて行き、学生はそれをノートに書き写していくだけと言うパターンばかりでしたので、学生と直感的に対話式に行う講義は、たとえ、既に習った内容であっても、中々新鮮です。
こんな講義を受けてたら、数学をもっと好きになってたのに、と思うような内容ですので、Macをお持ちの方は、一度覗いてみる事をお奨めします(ギリシャ史の例が示すとおり、食わず嫌いは、人生を損しています。)


モデリングとツール

以前のブログで、日本のモデリング事情の特徴の1つとしてツールの使用度が非常に低い事を挙げました。
そして、このことが多くの日本の組織がモデリングが実用な技術ではないと感じていると言う調査結果と方向的に一致していると述べました。
本日は、それでは、「なぜ日本ではモデリング・ツールが使われなかったのか?」と言う事について議論してみたいと思います。
非常に多くの要因が考えられると思います。例えば、財務上の問題でツールが買えない、とか、上司が旧来の実績ある方法に固執している、現状の方法論で十分間に合っている、以前使った事があるが上手くいかなかった、プログラマ達が新しいやり方に抵抗を示す、等々、日本の組織の数だけ理由が出てくる事でしょう。

現実問題として、日本のエンジニアが全員一律にモデリング開発を行う必要はなく、現状で満足できるのであれば、わざわざリスクを取る必要が無い事は事実ですが、既に旧来の方法の限界に直面しているにもかかわらず、モデリング手法を取り入れる事を躊躇する組織が多く見受けられます。
大別すると、①以前ツールを使ってみたが、その後使わなくなった(挫折型)と②使った事が無い(食わず嫌い型)に分かれると思います。
今、筆者が非常に興味を持っているのが①の挫折型です。
と言うのも、日本以外、特に欧米では①のパターンを殆ど見かけないからです。

欧米の開発現場の新入社員は、最近では、殆どがUMLを学校でならって入社して来ています。
そして、大学(院)では、UMLはツールを使いながら学習しています。
ちなみに、話の枕に取り上げたMITの数学の講義ですが、線形代数の講義中、要所要所でMATLABではどう計算するか、と言うポイントを講師が簡単に説明しており(実演は無し)、数学の教育にもツールを取り入れている事がうかがえます(日本で言うと、教養課程の数学教育の段階でMATLABを使用)。
従って、大学(院)でUMLを習った場合、
UMLを知っている ≒ UMLツールが使える
と言う公式が成り立ちます。(これは、学生本人や企業が期待するところでもあります。)

続きは、後日。

2011年1月20日木曜日

BPM/SOA/クラウド フォーラム と IPA SysMLセミナー

1月11日のブログでジブリ美術館のお話をしましたが、それで思い出した事があります。
ジブリ美術館は、ご存知の方も多いと思いますが、井の頭公園の中にあります。
筆者は学生時代、この井の頭公園のそばに下宿していた事があるのですが、この近辺で何度か不思議な体験をした事があります。

筆者の当時の下宿は、かなり古い、恐らく戦前からある屋敷を下宿屋に改造したような作りになっており、縁側や廊下を各部屋ごとに無理矢理区切って個室にしたような観がありました。
下宿用の部屋は全部で3区画ぐらいあり、筆者の部屋は一番端っこで、床の間がありましたが、その隣は炊事場が作り付けられ、かつて縁側の廊下だったスペースも部屋の一部に取り込められた、一言で言うとへんてこな間取りの部屋でした。
部屋の一番奥に襖戸があり、開けて見ると、奥に真っ暗な細長い部屋が続いていましたが、どの部屋にも繋がっておらず、筆者はその時は、かつて廊下だった場所が下宿屋に改造された際に完全にデッドスペースなってしまったんだろう、ぐらいに想像しておりました。
その細長い部屋には、布を被せられた大きなものが壁際に立てかけてあり、布をめくり上げて見てみると、それは何が描かかれてあるのか判然としない巨大な奇妙な絵画でした。

筆者はそのデッドスペースにつながる襖戸の前にベッドをおいて寝ていましたが、そんな日のある夜中、脇の襖戸が突然がらりと開く音で目が覚めました。
すーっと人が筆者をまたいで行く気配がして、そして、その人物が襖戸と反対側のベッド脇に立って筆者をじっと見下ろしています。
逆光になっていて表情や顔つきなどは全く分からないのですが、その頭は腫れ上がったように真ん丸く膨れ上がっていました。
何事が起こったのか訳が分からず筆者はその人物の顔をじっーと見ていたのですが、十秒ぐらい立つと、その人物はふっと消えました。

その後、筆者はその下宿を紹介してくれた不動産屋に行き、下宿をすぐに出たいと言いましたが、不動産屋はやはりと言う顔をして、出たい理由など筆者にあえて聞こうとはしませんでした。

BPM/SOA/クラウド フォーラム と IPA SysMLセミナー

今週の木金の二日間、OMG会長のソーリー博士とOMG理事でNo Magic社社長のダンカンソン氏が来日され、IPA主催のSysMLセミナーと、OMG主催(IPA後援)の「BPM/SOA/クラウド フォーラム」で講演されます。

BPM/SOA/クラウド フォーラムでは、筆者も多少の時間を頂きスピーチを行なう予定です。
ご興味のある方は、ぜひご参加ください。




2011年1月16日日曜日

BPM 講座 第3回 プレBPM時代の俯瞰 (2)

昨日、家の裏の窓からぼーっと外を眺めていた所、はるか彼方に、見慣れない建造物が出現しているのに気づきました。
 形状からすると、噂のスカイツリータワーである事に間違いありません。
 HPで確認すると、全高632mのうち549mは出来上がっているようです。
スカイツリーが見えるような場所では、アンテナなしで地デジが受信出来るそうです。筆者はテレビを持ってないので何の恩恵もありませんが。


スカイツリー 遠景(拡大写真)


現在高 549/ 632m













プレBPM時代の俯瞰 (2)
TQCとシックスシグマ
 90年代以前のプロセス・マネジメントの話題として絶対に落とせないのが日本のTQCでしょう。
昭和30年代以前の日本の工業製品の海外での評価は極めて低く「安かろう、悪かろう」の言葉通りだったそうですが、昭和40年代の半ばまでには世界のトップ水準の品質を誇るまでに躍進しました。
TQCについて語る事は恐らく大部分の読者にとって釈迦に説法だと思いますので、これ以上触れませんが、 一点だけ筆者がアメリカで目撃した光景をお話ししたいと思います。


80年代、アメリカの多くの企業は日本のTQCを取り入れようと躍起になっていましたが、殆ど例外無く、現場の激しい抵抗に遭い悉く失敗して行きました。
TQCもシックスシグマも方法論としては殆ど同じですが(元のアイディアが同じなので当然と言えば当然ですが)、受容の仕方、適用の仕方が日米で大きく異なりました。
ブラックベルト(黒帯)やグリーンベルト(緑帯)などの名称も、自分たちがTQCを受け入れ易いように工夫した結果と言えます。
日本のTQCは現場中心に発展しましたが、シックスシグマは、マネージャー中心に運営されています。
日米で、ジョブロールや労働慣習が異なり、当然、文化も違い、今あるシックス・シグマは日本のTQCを自社に取り入れようと奮闘努力した結果作られた受容の一形態です。
 しかし、元が日本のTQCだからといって、シックス・シグマを単なる亜流として侮る事は出来ません。
シックスシグマの主な担い手がマネージャー層であり、またブラック・ベルトに強い権限が与えられている事が多いため、事業レベル、組織レベルの問題に重大な影響力を発揮する場合があります。

日本で、新しい手法などを取り入れる際、受容に関するアメリカ人の試行錯誤は大いに参考になると思います。




シックス・シグマ

2011年1月11日火曜日

BPM 講座 第2回 プレBPM時代の俯瞰 (1)

先日、上京してきた友人と一緒に三鷹のジブリ美術館に行ってきました。
ジブリの映画は、何作か見た事があるのですがこの美術館は初めてです。
個人的にはこのようなテーマパークは大好きで、以前OMGのテクニカル・ミーティングがカリフォルニアのアナハイムで開催された時は、1週間ほどディズニーランド・ホテルに泊まり、毎夜ディズニーランドへ入り浸っていました
このような性向はどうも家系的なもののようで、筆者の弟などは昔、大学四年間、千葉のディズニーランドでバイトしていて、大学よりもディズニーランドの中にいた時間の方が長かったそうですが(たしか下宿もディズニーランドに近い浦安でした)、卒業後もディズニーランドのスポンサーの一つであった企業に就職しています。
 
ジブリ美術館2
BPM 講座 第2回 プレBPM時代の俯瞰 (1)

前回、90年代にBPMと言う言葉が登場してきて以降、BPMそのものがここ十年で大きく変わって来たと言うお話しをいたしました。

本講座で、現代のBPMについて述べる前に、それ以前のプロセス・マネジメントを概観しておく事はBPMを理解する上で非常に役立つと思いますので、90年以前のプロセス・マネジメントをプレBPM時代と名付けて概略を俯瞰したいと思います。

プレBPMの項目自身が興味深い話題ですが、深入りすると本題のBPMの話題に永遠にたどり着かない恐れがありますので、大雑把に手短にカバーして行きたいと思います。

フォード・モーターの登場
 産業革命以降、企業家たちは製造業のプロセスの改良に躍起になって取り組んできましたが、自動車王ヘンリー・フォードが、1903年に作り上げた革新的な生産方式ほど、その後の産業界に与えた影響の大きなものは無かったでしょう。
一言で言うと少品種大量生産で、フォード社は1927年まで、T型フォードと言う車種、一種類だけを生産し続け、アメリカ市場の半分はこのT型フォードだけで占められるまでになりました。
 T型フォード社の登場の直後、同じくアメリカ人のフレデリック・W・テイラー氏は「Principles of Scientific Management(直訳すると科学的経営の原理)」と言う書を著し、経営者がプロセスの改善を行なう上で役立つ幾つかの概念を提唱しました。
この本は、国際的にベストセラーになり、今でも経営学の古典的な教科書として読み続けられています(ネットでちょっと調べたのですが、残念ながら今現在、邦訳は出版されてないようです。)。
テイラー氏は、著書の中で、タスクの実行や制御を最適化する上で、『単純化』、『時間の分析』、『システム的な実験』の重要性を唱えています。
この波は自動車産業のみならず、無線通信機(ラジオ)、電話、テレビ等の製造業、そして第二次大戦後はコンピュータ産業にも大きな影響を与えています。
そして、現在のBPMの指導原理でもある「システム・シンキング」や「バリュー・チェーン」の考え方は、この著書に始まったとも言えるでしょう。

2011年1月9日日曜日

BPM 講座 第1回 BPMの意味付けの変遷

いよいよ花粉症の季節がやって参りました。
筆者の自宅でも、空気清浄機を稼働させ初めています。
かつて、毎年1台の割で空気清浄機を買い求めた結果、部屋数を超える台数になってしまい、フル稼働させると工場の中にいるような騒音に悩まされた事もありましたが、だんだん量より質重視に変わってきた結果、比較的静穏な日々を過ごせるようになってきました。
何が良いかは体質等によって違うと思いますが、筆者が様々な試行錯誤の末たどり着いた機器は、『Blueair』と言う北欧製のものと、『Venta』というドイツ製の機械を 組み合わせて使っております。
ともにヨーロッパ製ですが、結果的にそうなっただけで、体質的に合うみたいだと言う感覚的な理由以外に何の論理的な説明も出来ません。
空気清浄機

BPM講座 第1回 BPMの位置づけの変遷

年も改まり新企画としてBPM講座を細々と始めたいと思います。
筆者はOMGの試験委員をここ何年かやっており、OMGとBPMI(ビジネス・プロセス・マネジメント・イニシアティブ)の合併も目の当たりにし、またOCEBの試験作成にも関わってきました。
と言う事でOCEBの受験にも役立ち、かつ一般のBPMの学習にも役立つような情報を提供して行きたいと思います。

BPMの萌芽
BPMがいつ始まったかはBPMをどう定義するかに大きく依存しますが、業務プロセスの流れをフローチャートの様に図示して表現する事はかなり昔から行なわれていました。
筆者は日本のある会社で30年以上前に全社的に行なったと言う膨大な量の業務フローの流れ図を見せてもらった事があります。
しかしIT化を前提としてBPMと言う言葉が盛んに使われ始めたのは90年代後半あたりでしょう。(初期はワークフロー・マネジメントと言う言葉とほぼ同義語で使われたりしました。)
その当時のBPMの目的は品質改善、コスト削減などが主流でした。
それまでのメインフレーム系システムからイントラネット系システムへ移行する際、BPMを用いてシステム設計すると言う事がよく行なわれました。

さて今日、品質改善、コスト削減は今でもBPMの主要な目的の一部ですが、けっしてそれだけではなく、もっと戦略的な意味合いが深くなって来ました。


組織変革、戦略展開、戦略の実装のため、あるいは組織文化の変革のためにBPMを用いると言う事が昨今のBPMの主要なテーマになって来ています。

この変化はいったい何を意味するのでしょうか?